第20回 木曽泰博作品展  (創作文化刺繍
春恒例!手工芸の祭典 日本手工芸大博覧会が4月9日(水)より4月14日(月)まで、東京、浅草松屋7階において開催されました。

3階ギャラリーでは、例年文化刺繍ファンに好評の「木曽泰博文化刺繍・創作展」が共催され、いっぱいの来場者で賑わいをみせました。
会場では、先生のオリジナル作品をはじめ、先生主宰の教室の皆さんの創作作品も同時に展示され、大好評!
糸と刺繍のマジック…木曽泰博の世界をご堪能いただけました。
サイトでは、今回の出展作品より数点をご紹介します。なお、掲載作品のお求めも可能です。
教室など詳細につきましては、下記までお問い合わせください。
木曽泰博文化刺繍教室

※教室や作品等のお問い合わせは
 下記までお願い致します。

東京文化刺繍株式会社
東京都台東区柳橋2−2−10
TEL:03−3861−1757
第20回 作品展によせて
木曾 泰博
気がつけば長い間作品を作り続けていました。そして十数回も作品展を開催できたのは会場のご好意、協賛出品してくれた人達、作品を購入してくださった方々、会場に足を運んでご好評をいただいた人達のおかげと感謝しています。振り返ってみると、この間に文化刺繍だけでも250点以上創りました。 
作品展では特殊な技法でもあり、様々なご質問お受けします。私の作品は特に主義主張がある訳でなく、絵を描くことが好きで、紙とエンピツ、小さなカメラを持ち歩いて、出会った身近な風物を作っている、それが大半かと思っています。しかし作品では現せない部分の説明、日時や場所、動機、理由、言い訳こぢつけ、などしてみようと思いました。
略歴

昭和11年東京台東区生れ
東京学芸大学美術科卒業
      
春もみじ                                   嵯峨野初秋
京都南禅寺の搭頭の天授院のお庭です。以前同じテーマで作った作品を見て「春もみじ」と言い当てた人がいました。ここを訪れたのは4月中頃のことでした。 コスモスの花です。メキシコ原産で明治の頃日本に来たと聞きましたが、昔からあったという風情でとけこんでいました。

大仏殿遠望

若草山 山道

若草山 山頂
かねてから東大寺大仏殿を作ってみようと考えていました。知人に山の上から写した写真を見せてもらい、自分もその場所に行ってみようと出かけ現地で要望をして案内を願いました。
確かに大仏殿が見える場所がありました(上掲作品)。しかし見せてもらった場所ではないと思い、自分のイメージと随分違ったので、若草山の上から歩いて探すことにしました。

初めて若草山の山頂に上がりました。
広々としていて11月の空と雲がなんと美しく輝いていたことでしょうか。遠く西方に生駒の山々が見え紫の霞がけぶりたつ風情でした。徒然草にある「ある世捨てのいわくこの世にほだしもたぬ身なれど空の名残のみぞ惜しき」とはこんなことかと思いました。私は世捨て人ではありませんが。

結局山を下りながらも大仏殿は見えず、若草山の作品になりました。手前に道がありましたが、入れるか、入れないか迷いながら、つい2つ作ってしまいましたが。道があるとどうも人間くさくなる気がします。
・行きがけの駄賃・・・事のついでに他のことをするたとえ (広辞苑)

猿沢池夕景
若草山の帰り道夕刻4時頃の風景です。夕日に染まった空と雲シルエットに映える木立と柳、空を写して輝く水面がありました。
(帰りがけの駄賃)

桜に遊鯉

あじさいと錦鯉

京都・北野天神紅白梅
      
桜 (業平)               桜 (有常)                 萩                    紅葉
上掲の桜2点はイメージ作品です。伊勢物語(第82段 春の心は)の和歌です。
    世の中にたえて桜のなかりせは春の心はのどけからまし
・・・この世の中に桜花がなければ、花も散ることがなく私の心はのんびりするだろう
返歌
    散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき
・・・散るからこそ桜はすばらしいこの世になにか永遠なものがあろうか
桜花は誰もが好ましく思う花でしょう。私のように年をとるとよけいにこの歌がすばらしいとおもえます。
花が散っている様子のつもりです。
      
上野公園 子供遊園地 
 上野公園にある小さな遊園地の景色です。私には女の孫が二人います。数年前孫が4,5歳の頃からつれた遊びに行きました延べ数十回でしょうか、夕刻4時頃出かけていきます。帰る頃冬場では薄暗くなります。帰り際ふりかえると、西のそらの残照に暗い木立シルエットとそのしたのライトに照らされて光る遊園地が、絵画のようにうかびました。
そのときゴッホに「夜のカフェテラス」の作品を思い出していました。真似てみようと作った作品です。結局同じテーマで昼間2点、夕暮れ3点をサイズを変えて作りました。
 最初の一点が完成して私の講習会に持参したとき、たまたま居合わせた知人の娘さんが、その作品を一目みて(秘密の公園地)とつぶやきました。一目で上野の遊園地と分かったのでした、話をうかがえば子供の頃よく出かけたところで、祖母と母親の思いでのある「場所なのでした。その年の作品展ではこの作品を彼女が購入してくれました。どうもありがとう!

なぜ作品を作るのかと聞かれて、「作るのがすきだから」というのが第一の理由でそれ以外は、ただ無心、適当な答えはうまくいえませんがこの作品については、次のようにこぢつけようと考えました。二人の孫に(数年前のことです)この作品を残そう、本人たちは不要と思うかもしれないけれど、そこで「タイムカプセル」二人の孫に手紙を書きました。様々なことを。十年か二十年か後にそれを読んでくれたら「じいちゃん」のことを思い出してくれるだろうから。自分の存在は、作品と手紙をとうして孫の記憶のうちにのこってくれたら良いと思ったわけです。作品と一緒に手紙と作品が掲載された雑誌(雄鳥社刺繍の本)大好きな室町のお蕎麦屋の女主人の写真付きのパンフレットなど封をしてしまいこみました。
こんな行為をしたもう一つの理由は岡倉天心「茶の本」に掲載されていた書簡を読んでいたからです。(天心とその書簡 下村編)天心は晩年インドの女性と恋におちて、手紙をかいていますがその一部に次の詩があります。
戒告
私が死んだら
鐘を鳴らすな、幡を立つるな
寂しい浜辺の松葉の下深く
静かに埋めてよ 汝が詩を我胸にのせ
浜千鳥をして我が挽歌を歌わせよ
もし我が碑を建てんとなら
すこしの水仙と香ぐわしき梅樹を植えよ
或いは遠き未来の霧の夜
甘き月光の上に 汝が足音を聞くやも知れず
1913 8 1

水仙と梅樹のかわりに遊園地の作品と思って勝手にこじつけました。
「上野公園の夕暮れ」F6 上記の遊園地の中からみえる風景
      ニコライ堂

 去る2月の中旬私は御茶ノ水の病院で白内庄障の手術を受けました、その日は眼帯をして見えにくい左眼ですごしました。
 翌朝6時に眼帯をとってもらいました、恐る恐る室内を見わたすととても明るくみえる、カーテンを開くと光がさしこみ外を眺めるとそこにニコライ堂が眼前にあった、ニコライ堂は知っていしたがそこに見えたのは自分の知らない、或いは忘れていた光景でした。
 早朝の光のなかで淡いピンクに染まった白壁、かがやく朝の空、緑青の屋根がしずかにみえて黒々とした樹木としずかに光る木の枝がみえました。なんと新鮮な感動なんだろう、なんと美しい色だろうかと、長い間ながめていました、ビルに囲まれて複雑に光を反射しているニコライ堂を片目ででしたが。
 
やがてすこしづつ明るくなってきた白壁を眺めながら、モネの言葉を思い浮かべました。「自分は盲目であれば良かった、そしてある日眼をあけて外をみれば眼前のものがなんにも煩わされずにその印象を自分なりに表現することができる」この言葉を自分なりに実感した気がしたのです。
 この作品の正しい題名は、
「冬の早朝、朝の光に淡いピンクに染まったニコライ堂の白壁を、忘れていた感動をもって病院の3階の窓から片目でながめた風景」
 刺繍には難しく不向きな題材かと思ったけれど現代の医学の進歩に感謝しながら自分の気持ちのなかで、どうしても作ってみなければと義務付けて、あまり良い出来とは思えないが、無理やり作った作品。

勝浦海岸

妙心寺冬の朝

如意輪観音
  如意輪観音
(如意とは如意宝珠、輪は法輪を意味する修正の苦を抜き利益を与える、財宝を施し願望を成就させる)と説明されている。

奈良の般若寺には数十体の石仏が花のなかに安置されています。寺では花を植えて参詣の人達を迎えてくれます。しかし私が訪れた11月には花も少なく、参詣人をすくなかった。お蔭で静かに石仏と対面させてもらえました。
 作品の仏は実物とはすこし異なります。実物は確かに如意輪観音に思われましたが、わかり易いように勝手に少々変えてしまいました。どうか罰があたりませんように!。
2007年 出展作品  

「lily-yarn」… リリヤーン、リリアン、リリヤンなどと呼ばれている。 なお、[ りりやん倶楽部 ] は株式会社山添商店のTRADE-MARKです。